開設:2005.3.22.                                                    更新:2018.4.29.

ようこそ!

EveryDay日曜をご訪問いただきありがとうございます。
ついに、傘寿を迎えた田舎の爺が思いつくまま書き連ねています。お気にさわるところがございましたら、ご容赦ください。
1999年(平成11年)12月31日「毎日を日曜日にする!」と家族に宣言、会社を退職する。
爺は1937年(昭和12年)10月19日、三ヶ尻飛行場の練習機が近くの畑に墜落した日、「おぎゃあ~」と生まれたらしい。物心ついた時は太平洋戦争真っただ中、祖母が壁に貼ってある世界地図に大本営発表を聞きながら、日本が占領した街にピン付きの日の丸の旗を刺していた。上海・マニラ・シンガポール・インドネシア・ビルマと日の丸が東南アジアいっぱいに広がるのを子供心に薄っすらと覚えている。その大本営発表が真っ赤なウソだったとは終戦後しばらくたってから知った。
そして敗戦、"男女席を同じゆうせず"、"ほしがりません勝つまでは!"、"勝ち抜け!"のスローガン、軍部による言論統制、憲兵の闊歩する暗い時代から、新しい開かれた時代へと変わった。
当然、三ヶ尻飛行場にも米軍が進駐してきた。大きな金髪の兵隊さんやパンパンが闊歩し、公道では人目もはばからず抱き合ってキスをするという、環境の変化に、爺はショックを受けたのを覚えている。
そして、終戦の2年後、中国の北京からうす汚れた男が我が家に帰ってきた。
母が「これがお前のお父さんだよ!」といったのである。小学校4年の爺は複雑な気持ちであったが、その距離感は親父が死ぬまで縮まる事はなかった。
今思えば、親父の生きている間に、酒酌み交わし語り合っておけばよかったと思う。
農地解放により、大地主が没落し、苦しい小作農制度は終わり、農地が小作人へと払い下げられ、新しい農業の時代が訪れた。。
そして、日本列島改造論の高度成長期を迎え、食うや食わずの貧しい生活から一生懸命働けば何でも買える時代へと変わった。テレビ・洗濯機・冷蔵庫・掃除機・自動車と豊かさを享受した昭和から、平成になり、家の中はモノであふれ、労働で得たお金でモノを買わず貯蓄へと移っていったのである。
その貯蓄現象が景気を停滞させ、モノが売れず企業は生産調整へと進み、雇用は失われて、右肩上がりの経済成長の神話は崩れ去ったのである。
そんな激動の時代を80年も額に汗して一生懸命生き抜いて来てきた。
今は、朝4時に起き、眼筋マヒのため片目でホームページ更新、午後、昼寝と散歩、9時に就寝の毎日を過ごし、体重34Kgで認知症の症状が出始めた家内と眼筋麻痺で物が2重に見える爺の二人で、ゆくゆくは必ず”老老介護になる”と思いながら支えあって生きている。

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2018.4.29. その日暮らし